風詠み人

序章「始まり」



四方を海に囲まれたボスノア大陸。


世界中のどの大陸よりも精霊の恩恵を受け易い土地と言われるこの土地では、文明の発展よりも、自然との共栄・共存を選んだ民たちが長きに渡り繁栄を続けてきた。他の大陸に存在する国家が骨肉の争いを繰り広げる中、唯一大きな戦火を体験したことの無い土地であり、「清浄の大地」とすら呼ばれているこの地に住まう民たちは、自然の中に八百万の精霊が存在するという原始的シャーマニズムを信仰し、そしてそれが当たり前であるかのように長き時を過ごしてきた。
それを可能としたのは、この地の持つ独特の地形にある。
沿岸全土を切り立った崖で囲まれたこのボスノア大陸は、神聖性を無視して侵略を試みる輩を自然の力で押しのけてきた、まさに陸の孤島である。仮に侵略を許したとしても、平均海抜が2059mという高山の地で日々の生活を営む民にとって、気圧差で気付かぬ間に体力を奪われ、朦朧とした意識になる兵を討つことは容易いことだったし、彼の民はそれを押しのけるだけの知恵と統率力を備え持っていた。更に彼らは、まるで気象を操るように雨や風を察知し、それを巧みに戦へ導入したことで、圧倒的文明差をも覆すだけの戦力を有することに成功したのだ。
その機知に侵略者たちは恐れ戦いた。世界第一の軍事国家「グルタール帝国」の時の帝王「グルタール3世」曰く、「ボスノアを攻めること神に戦いを挑むが如く。決して人間が触れてよい所ではない」とし、各国の軍部首脳との間で「ボスノア大陸を永世中立国家としていかなる場合にもここを攻めること許さず」との取り決めを採決した。
それを知ることの無いボスノアの民たちは、最初こそ他国の侵略に戦々恐々としたものの、やがては自分たちが脅威に去らされることのない立場にあるということを本能的に察知してからは、戦いや争いの無い平和な日々を送るようになった。これがグルニア世界暦34年までの出来事である。




やがて月日は経ち、グルニア世界暦287年。


長き平和は人々に退屈をもたらすのだろうか?精霊と共に悠久の時を過ごしているかに思われたボスノア大陸には、文明を取り入れ他国へと領土拡大をすべしとする急進派の勢力が日増しに拡大していった。自国の理よりも経済的成長と遂げようとする意識が急速に広まり、やがてボスノア軍事政府を樹立、暴力を以って民を支配するようになった。その勢力に反対する精霊崇拝派も「目には目を、そして勝利を勝ち取りかつての生活を手に入れろ」というスローガンの下に奮起する。争いを知らなかった人々が、ついには一触即発の臨戦状態へと突入した。
その様子を偵察部隊により知りえた近隣諸国も、漁夫の利を得ることを目論み、かつては「清浄の大地」と畏れ敬ってきた聖域を我が国の占領地とすべく、軍を派遣する用意を着々と進めるようになった。

危ういながらも保たれてきた世界平和の均衡が一気に崩れ、血生臭い戦が開始されようとしていた。




舞台はボスノア南端のサイカ岬に移る。

サイカに点々と並ぶ民家。その一つ、ブラーム家の長男・ウィルが本編の主人公である。

大陸内での派閥争いなど無縁の農村で勝手気ままに過ごしてきたウィル。幼馴染のスフィーと妹のリリアの3人でいつも笑ったりふざけたり、時には怒ったり。そんな日がずっと続くと思っていた少年の身にも、確かに災厄の影は近づいてきていた…。







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